1988年 A5判 P285 カバー少スレ、端僅イタミ 小口少汚れ
1981年から87年にかけて雑誌に寄稿した映画にまつわる批評を集める。
映画の中の恋愛や性の描かれ方における“メロドラマ的”な表現や批評性などをテーマとした各論にはじまり、映画を「ジャンル」に回収しようとする際に生じる矛盾や、映画において虚構世界を成立させるいくつかの形式(画面構成、カメラワーク、編集な、映像と音との関係、etc…)が矛盾や軋轢を生じる瞬間など……、個々の作品や作家をとりあげながら考察する。
目次:
メロドラマとは何か? ふたつの講演をまえがきにかえて
【第一部 メロドラマ的想像力のために】
ファミリープロットあるいはヒッチコックの家族映画
メロドラマは泣き顔を要請する ジョーン・フォンテインへのオマージュ
新しい映画のために フェミニスト・エッセイ
映画のセクシュアル・ポリティクス
不可能なメロドラマ
{メロドラマへの捧げ物/ブレッソンとは何者か/エリック・ロメールの読み方}
ファスィネイティング・ファスビンダー 映画的身体の新地勢図
【第二部 作家の映画/ジャンルの映画】
ポルノグラフィの詩学 小沼勝論
困難な芸術家の肖像 マキノ雅裕をめぐって
持続の空虚な合い間 ジム・ジャームッシュ
カサヴェテスとローランズ 愛はメロドラマの彼方に
光と音のエピファニー ジャン=リュック・ゴダール『パッション』
多孔質フィルムの痙攣 ニコラス・ローグ『ジェラシー』
零度の運動 デイヴイッド・リンチ『ブルー・ベルベット』
水の言葉あるいはタルコフスキーはなぜレムに惹かれたか
映像一元論者デイヴィッド・クローネンバーグ
【第三部 映画の一般修辞学】
『イワン雷帝』あるいは眼の劇場
脱神話的物語 ベルトルッチの『1900年』を読む
映像と音の自己増殖
映画的テクストの戦略
ハーデスの隠れ帽あるいは見えない身体
消えゆく境界線 吸血鬼=映画のディコンストラクション
RWFの墓
映画題名・人名索引
初出一覧
あとがき