2005年 A5判 P233 カバー僅イタミ
叢書記号学的実践
“クリシェ、スローガン、悪罵、諂い……こうしたもののトメドのない繰り返し。今日の日本の政治の腐敗と堕落はその《言語》に典型的に現われている。
しかし、あらゆる時代の、あらゆる文化の政治的言語がかくも凡庸であったわけではない。たとえば、二十世紀最大の革命家のひとり、レーニン―
《レーニンは作家や演説家としてではなく、実務家としてしか言語を考えていないように思われる。しかしながら、彼は、他者の文体にきわめてはっきりとした反応を示し、反対者や敵との論争の際にしばしば彼らのことばの文体論的特徴に注意を払っている。レーニンにとって各党派は、一定の世界観であるばかりではなく、一定の文体の体系でもあった。ときには、「美辞麗句」のなかに知的衰弱と道徳的空疎さを見出して、それを烈しく暴いてゆく。》(エイヘンバウム)
レーニンの演説のなかに「詩情」や「修辞学」を求めてもむだである。彼は構成の優美さに気づかっていないし、詩に関する教養や博学ぶりをひけらかしもしない。彼は、仰々しさや気どり、詩を思わせる美しさや文体上の装飾にうんざりしている。彼は「美辞麗句」を憎み、「雄弁」を軽蔑しており、原則やスローガンにたいしてすらも、神聖な教条としてではなく行動のための補助的で功利的な公式として接している。レーニンの演説は、その言葉の成分において、つねに直接的で飾りけがなく、平凡で無頓着にすら見える。それは、技術用語と精密な定義・認定からなる科学の言語、言葉を生彩に富むものにする比喩的表現や地口をまったく欠いた純粋きわまりない散文の言語のように見える。だが、じつはそうではない……》(カザンスキイ)
二十世紀の言語学革命を主導したロシアのフォルマリストたちが、レーニンの政治的ディスクールの言語学的、修辞学的、記号論的な分析に総力をあげて取り組んだ『レフ』誌のレーニン特集号の全訳。
《革命》と《一言語)に関心をよせるすべての人々の必読書。”(カバー裏紹介文)
目次:
規範の否定者としてのレーニン(ヴィクトル・シクロフスキイ)
レーニンの演説における文体の基本的傾向(ボリス・エイヘンバウム)
レーニンにおける高尚な文体の格下げについて(レフ・ヤクビンスキイ)
論客レーニンの語彙(ユーリイ・トゥイニャーノフ)
レーニンの演説 修辞学的分析の試み(ボリス・カザンスキイ)
テーゼの構成(ボリス・トマシェフスキイ)
著者紹介
訳者あとがき